珍蔵寺について

 山形県南陽市の漆山地区には、古くから鶴の恩返し伝説が伝わっています。その「鶴の恩返し」伝説は江戸時代の古文書に書き記されており、 記述としては日本で最も古いものです。現在でも、漆山には、鶴巻田、羽付、織機川などの鶴の恩返しにちなむ古く からの地名が数多く残されています。また、鶴の羽で織った織物を寺の宝物としたと伝えられる「鶴布山珍蔵寺」という古刹があり、その梵鐘には鶴の恩返し伝説が描かれています。

鶴布山珍蔵寺縁起(鶴の恩返し)

珍蔵寺 昔々、おりはた川のほとり新山に、金蔵と申す正直者が住んでいました。宮内の町へ出た帰り道、池黒というところで子どもらが鶴一羽をしばっていじめていました。金蔵はあわれに思い、あり金をはたいてその鶴を買い求め、なわをほどき放してやりました。鶴はよろこんで大空を舞いどこかへ飛んで行ってしまいました。やがてその夜、金蔵の家にとてもきれいな女が現れて、私をあなたの妻にしてください、何か働かせてくださいと、何べんことわっても帰らないので、仕方なく置くことにしました。その女は織物(おりもの)が上手で、織(お)った布はとても高く売れました。

 ある日のこと、女が「だんなさま、私はご恩返しに、あるものをあげますから、7日の間、決して私の部屋をのぞかないでください。」といって、その日から離れにこもったきり、夜も昼も、コットンコットンという音が続きました。7日目の夜のこと、金蔵はまちきれずに、いったい何を織っているのかとしのび足で離れに近寄り、窓のすきまから中をのぞきました。とたんに金蔵はあまりの恐ろしさに「あっ」と声を出しました。それもそのはず布を織っているのは女でなくて、やせおとろえた一羽の鶴が、己の羽根をむしりとっては織り、むしりとっては織り、すでにはだかになっているではありませんか。

 金蔵の叫び声に、機(はた)は止まり、その羽根のない鶴はさびしく言いました。「だんなさま、なぜ見ないでくださいといった私の言葉を、お破りになったのですか。私はごらんのとおり、人間ではありません。実はこのあいだ、あなたに助けられた鶴でございます。私がいま織っているのは、ご恩返しに私の羽根でつくった「おまんだら」です。これが私の形見でございます。・・・さようなら」といって消えてなくなりました。その後、金蔵は感ずるところがあって僧となりました。それで金蔵寺であった寺が、その宝物の名をとり、鶴布山珍蔵寺と改め称したと申します。また金蔵が助けたのは、つるはつるでもつると申す京あたりの女織師で、それが尊いおまんだらを織ったという説もある。(佐藤七右衛門「池黒村付近の伝説私考」より)
※ 記載内容は、南陽市史 民俗編から転用されています。

鶴布山珍蔵寺

 珍蔵寺は、鶴女房の夫だった金蔵が仏門に帰依したのが開基という伝承となっており、鶴の羽根で織った布が寺の宝にされていたという言い伝えが残されています。伊達政宗の時代にはすでに名刹として知られていました。境内は山門と庭園が調和し、禅寺の雰囲気が色濃く、心が洗われるような気がする空間です。また寺の梵鐘にも鶴の恩返しが浮き彫りにされています。

【所在地】〒992-0474 山形県南陽市漆山1747-1


大きな地図で見る
このページの上へ